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2019/08/09 23:08
沖縄に本格的な夏がやってきましたね
「エイサーとは?」
本土の盆踊りにあたる沖縄の伝統芸能のひとつで、主に各地域の青年会がそれぞれの型を持ち、旧盆の夜に地域内を踊りながら練り歩く。
一言で「エイサー」と言ってもその形態はいくつかに分類され、現在ほとんどの青年会が、大太鼓、締め太鼓を中心とした「太鼓エイサー」であり、沖縄県中部が最も盛んな地域と言われている。その中でも旧与那城町、旧勝連町で見られるエイサーは「パーランクー」という方張りの太鼓を用いたエイサーがほとんどで、締め太鼓とは違った雰囲気を醸し出す。
また、太鼓を使わない「手踊りのみのエイサー」もあり、本島北部にいくつか存在するが、これがエイサーの最も古い形ではないかと言われている。
近年では、エイサーの型を取り入れ、音楽はポップスを使用する等、衣装も独創的な「創作太鼓」のグループも数多く存在する。
「諸説ありますがエイサーの始まり」
「昔、大そうな金持ちの人がいた。『金は宝』といって、貧乏人がお金を借りにきても絶対に貸さないで貯えていた。
その人は、病気にかかり亡くなったが、後生にお金を持っていくことが出来なかったので、後生に行ってから「ああどうしよう、わたしのあんなにたくさんのお金は・・・」とお金のことを心配していた。
子供たちが、「私達のお父さんはお金の心配をしているということだが、これはどうしたらいいものだろうか」と有名な坊さんのところに教えを乞いに行った。
坊さんは、「あなたのお父さんは、生きているとき、お金はたくさんあってもケチで、貧乏者に物をあげたりお金を貸すこともしないで自分一人のものだといって貯えていたが、死んでしまうとお金を後生に持っていくことができないといって、それの心配をしているので、7月のお盆の13日、14日、15日の3日間のあいだ、あなたたちが、ご馳走を作り、お酒を準備して村中の青年を集めてもてなしなさい。そして青年たちに太鼓をボンボンさせて、あなたのお父さんが苦労している心をなぐさめてあげ、罪とかをはらしなさい」といわれた。
そのときからエイサーが始まったということであるが、坊さんは、「あなたのもうけたお金でこのように御馳走も作り、アシビ(遊び)をさせているので、あなたはお金の心配をしないでください」と3日間お祈りをした。そうしてお金の形を紙に打って打ち紙を作り、「イチミ(この世)のお金から出してお供えしてあります。打ち紙一枚は一万貫としてお使いになれますから」といって、7月15日に打ち紙を火にあぶった。
今でもスーコー(法事)に打ち紙を燃やすのはそういう理由からだそうです。」
写真転載元http://amawari.xii.jp/cgi/photo/#
「住宅街を練り歩く、道ジュネー」
旧盆の3日間に地域の青年団のエイサー隊が街中を演舞しながら練り歩く道ジュネー
この時ばかりは、太鼓の音が聞こえると子供からオジーオバーまで通りに出て声援を送ります
目の前で繰り広げらる大迫力の演舞に興奮すること間違いなしです
県内ではやはり沖縄市「コザ」がエイサーな盛んな地域として有名ですが、なぜコザがエイサーで有名な街になったのでしょうか?
Google先生に聞いてみると・・・
「戦後、エイサーは沖縄市など本島中部を中心に大きくスタイルを変えた。旧コザ市(現在の沖縄市)主催で1956年に全島エイサーコンクールを開催。この沖縄随一のエイサーイベントは後のエイサーの発展に多大なる影響を与えた。当初コンクール(順位を競う)であったため、審査員や観客に魅せる(見せる)という部分に重きが置かれ、出場する青年会は構成や隊形、衣装、パフォーマンスなどをより派手なスタイルに変化させていくことになる。これらのエイサー文化と共に歩んできた沖縄市は2007年6月13日に「エイサーのまち」宣言をし[5]、地域の活性化に取り組んでいる。一方で、名護市以北の本島北部では手踊りの伝統エイサーも続けられている。
以上wikipediaより引用
なるほどエイサーコンクールがコザのエイサー人気の始まりのようです
写真転載元http://www.tousendou.com/blog/eisa2016.html
そんなウチナーンチュ皆んなが大好きなエイサーですが、近年では移住者などから「太鼓の音がうるさい」と制限されるケースも増えてきているそうです
個人的にはお前の方がウルセェって感じですが、まあそこはチャンプルーな沖縄文化
いろんな文化が混ざり合ってまたさらにエイサーの発展につながることでしょう
沖縄エイサーの文化、大切にしていきたいですね
最後に個人的に大好きな園田エイサー青年会の演舞でお別れしましょう